梅田東地域は、大阪の表玄関にあたるJR大阪駅以北に位置し、大深町、芝田二丁目、芝田一丁目、茶屋町、鶴野町の5町会からなる地域です。
現在、うめきた(梅田北ヤード)や梅田東小学校跡地地区などの再開発ラッシュで、活気のあるまちとして脚光を浴びておりますが、まちが形成されるようになったのは江戸時代以降のことです。
それまでの梅田東一帯は、呼び名ともなった低湿地帯に泥土を埋め立てて田畑地を拓いた地(「埋田」)でした。市街地から離れていたため、まちの形成が始まったのは18世紀後半で、やがて旧能勢街道(池田街道)沿いのまちとして知られるようになりました。
明治時代に入り、国鉄(JR)大阪駅ができ、さらに阪急電鉄など開通したことで、大阪の基軸としての地位が築かれました。メリヤス工場などが林立する産業都市として発展する一方で、工業高校や女学校、中学校などが集積した文教地区としての顔もありました。
昭和時代を迎え、ターミナル周辺は商業集積地として大いに賑わい、大阪を代表するまちの一つとして飛躍的な発展をみせるようになりました。
その後、戦時下の厳しい時代を潜り抜け、大きな痛手を被ったにもかかわらず戦後復興を迅速に果たし、高度成長の波にも乗るなど、幾多の変遷を経てきて、今日の梅田東地域があります。
こうしたまちの歴史や文化を次代に引き継ぐことは、まちに関わる者の使命といえます。
経験豊富な古老から、将来を担う若手に至るまで、知恵と想い、新たな発想を持ち寄り、よりよいまちづくりに邁進していきたいものです。