大深町は、東は芝田、西は中津・大淀・福島、南は梅田、北は中津に囲まれた地域で、JR大阪駅北側にある大阪駅北地区(通称梅田北ヤード)を中心に、ヨドバシカメラマルチメディア梅田などが大深町に属しています。
明治30年(1897)4月1日に、西成郡北野村字大フケが北区に編入され、明治33年(1900)4月に北野大深町に改称、さらに大正13年(1924)6月1日の町名改正で、南東部の旧北野松本町を編入し、北野の冠称を廃して大深町となり現在に至っています。
当初の町域は現在の町域の中東部の一角にすぎませんでしたが、昭和19年(1944)に梅田貨物駅構内全域が大深町に統合されました。
現在の町域は、同じ旧 北野村の一部である牛丸町・佐藤町のほかに、旧下三番村の一部である中津南通や、旧 曾根崎村の一部である北梅田町を含んでいます。
町名の由来は、西成郡北野村字大フケの字名の「大フケ」に由来しているといわれます。かつて梅田周辺は「埋田」といわれていた地で「フケ」は「深田」を略したもので、泥土の深い田を表していると考えられています。ちなみに、小深町(現:芝田二丁目)という町名も同様で、現在は芝田に編入されています。
平成30年(2018)6月6日に開業した、JR西日本ホテルグループのハイクラスな宿泊主体型新ブランド「ヴィスキオ」の第1号ホテルです。「ヴィスキオ」とはイタリア語で“宿り木”の意味で、北欧神話で幸福・安全・幸運をもたらす聖なる木とされ、旅の疲れを癒し幸せを感じられる場となることを願って命名されています。平成27年(2015)に閉館した「大阪弥生会館」の跡地に建ち、JR大阪駅から徒歩5分と利便性が高く、開業以来、好評を得ています。
大深町北東部(旧牛丸町)は「牛の藪入り」(梅田牛駆け粽)のあった地の一つとされています。かつて大深町周辺は、春は一面に菜の花をはじめ、レンゲやタンポポが咲いていました。今は絶えてしまいましたが、明治初年の頃まで、北の地域にあった梅田堤で5月5日(旧暦の端午の節句)に付近の農家の人々が集って、飼牛を野面に放して遊ばす行事が行われていました。
これを「牛の藪入り」と呼び、その日は終日朝から仕事を休み、飼牛の角に紅白の布を巻き、頭上をツツジやショウブ、ボタンなどの花で飾り、背にはきれいな敷物をかけ、牛を自由に解放して労をねぎらいました。
節句にあたるため、飼主の家では粽を多く作ってまくと人々は競って受け取り、子供の疱瘡(ほうそう)除けの願いをこめたとされています。特にこの地で行われるものが有名で、このほか牛にまつわる行事は、大阪府下の摂津や河内、和泉など各所で行われていました。ちなみに、「薮入り」は奉公人(使用人)や嫁が休暇をもらって実家で休息することをさすようになりました。
国鉄(現:JR)梅田貨物駅がつくられる以前には、東西に梅北道路が走っており、駅の敷設で取り壊されました。梅田と大淀が分断されてしまったことで、地元の有力者たちが「梅北道路復活期成会」を結成し、当時の鉄道省(現:運輸省)に陳情し、昭和3年(1928)に「北梅田地下道」ができました。
大阪駅前と新梅田シティとを結び、スカイビル方面へ抜ける近道として利用されていましたが、道路の必要性はそれだけではなく、子たちの通学路を確保することも大きな目的でした。地元の子たちが大淀側の学校に通うとき、遠回りして迂回しながら貨物専用駅の引き込み線を渡らなければならないため、どうにかしてあげたいとの思いから陳情が行なわれたわけです。このときの地下道建設に動いた地元の有力者たちの子孫は、今も地元で奉仕活動をされています。
平成3年(1991)の新梅田シティ竣工を機に、内壁が塗装され、街灯も増え、換気や排水の設備も整えられました。今後、地上には再び東西方向の道路が整備される予定です。
平成13年(2001)11月、北ヤード隣接地の旧大阪鉄道管理局跡(一時期、JR西日本本社)に、「ヨドバシカメラマルチメディア梅田」を中核とした商業複合施設「ヨドバシ梅田」が開業しました。ヨドバシ梅田は、大手家電量販店のヨドバシカメラマルチメディア梅田をはじめ、多数のテナントが入居しています。
JR西日本本社屋(旧大阪鉄道管理局庁舎)が置かれていた場所で、JR西日本本社が現在の本社社屋(芝田二丁目)へ移転後、ヨドバシカメラが跡地を活用しています。暫定的に平面駐車場としている部分も大型商業施設として開業に向けて準備が進められています。
ちなみに、以前は旧大阪鉄道管理局庁舎で、昭和62年(1987)4月の国鉄分割民営化後はJR西日本の本社ビルとなっていました。
また、梅田貨物駅は、平成25年(2013)の春ダイヤ改正をもって稼働を終了し、昭和3年(1928)の開設以来、80年以上の歴史に幕を下ろすことになりました。廃止後は更地化して、平成34年(2022)頃に新駅開業、平成38年(2026)頃に道路や広場などの基盤整備が完成する計画が進められているようです。
大阪駅北側にあった梅田貨物駅付近のコンテナヤードは「大阪駅周辺で最後の一等地」であるといわれ、梅田北ヤードの総面積は約24haで、そのうち約7haが先行売却され、先行開発区域としてグランフロント大阪が平成25年(2013)4月に開業しています。
大阪駅の北側に位置しているグランフロント大阪は、順に南館(タワーA)、北館(タワーB・タワーC)で分かれており、ショッピングモールやレストラン・カフェ、オフィス、ホテル、コンベンション・センター、劇場、超高層マンションで構成されています。また、各所にはそれぞれのエリアを結ぶだけでなく、人の交流や賑わいを創造する広場や歩道空間が整備されています。
また、平成22年(2010)8月から10月にかけて名称を公募し、大阪駅北地区(全体約24ha)の新名称が「うめきた・梅北」に決定しています。大阪駅北側のこの地域はコンテナヤードができる前は文教地区で、鉄道省が大阪駅拡張用地としために大正13年(1924)発行の地図をみると、北野中学校以外の学校はすべてなくなり、まったく違う風景になってしまいました。新たなまちづくりが始まることになります。