鶴野町は、大正13年(1924)6月1日の町名改正で新設された町域で、北は豊崎2丁目、西は茶屋町、南は角田町、東は中崎西に囲まれた地域です。地名は茶屋町にあった「鶴の茶屋」が由来とされています。鶴の茶屋は、周辺がのどかな田園風景が広がっていた頃にあった茶屋で、豪商・松並竹塘が2羽の鶴を放し飼いにしたところから称されるようになったといわれます。
まちは昭和45年の大阪万国博覧会の開催に向けての新御堂筋(国道423号)の完成によって大きく変わりました。それまでは平屋や2階建ての木造住宅が多く、昭和50年(1975)頃まで店舗や工場も点在していた時期もありましたが、次々に移転を余儀なくされていきました。
立ち退きも含め、都市化のために人口が減る一方でしたが、昭和56年(1981)2月、総戸数420戸という大型のマンションのコープ野村梅田が建てられ、新たな居住者とともにかつての住民も戻ってきました。さらに、20年以上を経て、平成17年(2005)に都市型の分譲超高層マンションであるザ・梅田タワーが建てられ、人口の減少に歯止めがかかりました。
現在、新御堂筋を挟んで向かいにある茶屋町と、ユニークな店舗が増えつつある中崎町の間にあって、人の流れも変わりつつあります。また、グラン・アーモ・タマヒメ(旧梅田玉姫殿)もグランドオープンし、大安休日ともなれば結婚式関係者が多くみられます。
新御堂筋は大阪市北区西天満から箕面市白島まで南北に走る幹線道路の通称で、国道423号線にあたります。高規格道路として設計され、新淀川大橋の手前で大阪市営地下鉄御堂筋線、北大阪急行南北線を中央に挟んだ形で千里ニュータウンや箕面を結んでいます。
新御堂筋は計画道路として、地下鉄延伸と新淀川への新橋架設を伴うもので、すでに昭和7年(1932)の第二次都市計画事業の中で北野豊津線として示されていましたが、戦争によって中断されていました。
昭和45年(1970)、大阪府道大阪箕面線として開通し、大阪万国博覧会の開催による新たなアクセス道路としての役割を担いました。昭和57年(1982年)に国道に昇格し、本線の大部分が高架で信号がなく、車の流れをスムーズにしています。
新御堂筋の完成は、御堂筋と一体となった大阪市の南北の主軸として、府下の北部地域と大阪市の都心部を結ぶ自動車交通の大動脈としての機能を果たしています。
平成22年(2010)に竣工した、丸紅株式会社が関西で初めて手がけたオフィスビル(21階建)です。茶屋町から新御堂筋を挟んだ東側に位置し、鶴野町の再開発プロジェクトの一つで、本社ビルが建て替えられるヤンマー株式会社の本社の一時移転先になっていました。
昭和46年(1971年)に、株式会社京阪互助センターが設立した結婚式場です。平成25年(2013)9月1日にグラン・アーモ・タマヒメ(GRAN AMO TAMAHIME)として新たな一歩を踏み出しています。「グラン」はスペイン語で「大いなる」、「アーモ」はエスペラント語で「愛」、つまり「大いなる愛」という意味になり、結婚式によって愛に満ちた人生を歩めるようにという願いと祈りがこめられています。教会式、日本伝統の古式ゆかしい神前式、仏式など専門式場があります。
医療機関等へ診療報酬等を迅速に支払う審査支払の専門機関です。昭和23 年(1948)の設立以来、医療保険制度の安定的運営・発展の一端を担っています。